村民の夢

治25年、
千歳飛行場起工日本手拭
千歳飛行場起工日本手拭
(飛行場竣工を祝い全村に配付された)
守屋憲治氏蔵
北海道炭鉱鉄道が室蘭〜岩見沢間に開通すると、 札幌本道の往来は日に日に少なくなっていったと伝えられています。
 
大正15年、 私鉄北海道鉄道によって苗穂〜沼ノ端 間の鉄道が開通。
  この鉄道を利用して小樽新聞社主催のふ化場見学会と観楓会に200名が10月17日千歳 を訪れることになりました。 新聞社は、 村に昼食の応援を依頼し、 当日購入したばかりの飛行機をお礼方々に千歳の上空に飛来させることを説明しました。
  飛行機を見てみたい、 それも上空を飛ぶのではなく、 着陸した機体を間近に見てみたい、 村民が一致して着陸場の建設が決まりました。 村民が2日間、 述べ150人が参加して整備された滑走路が
千歳飛行場の始まりとなりました。 10月22日、 午後1時15分、 村民は歓喜で「北海」第 1号
北海第1号機(復元機)
北海第1号機(復元機)
を迎えたと伝えられています。
 
昭和14年、 滑走路は整備され海軍航空隊が開隊されました。配置機数は48機、 将兵は300人といわれます。海軍航空隊の配備により人口の増加が続き、 同17年に「千歳町」に昇格します。

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