美笛‐千歳鉱山専用軌道の一考察

※画像をクリックすると拡大図が表示されます



守屋 憲治
千歳市史編集委員会専門部員
1.千歳鉱山の概要
2.専用軌道と軌間
3.軌道の配線経路
4.ガソリン機関車と蒸気機関車
5.軌道の廃止
6.廃線調査(まとめとして)
参考・引用文献
 




5.軌道の廃止

文末まで移動 ▼ 

 小熊米雄著『日本における森林鉄道用蒸気機関車について』によると「なおこの軌道は昭和24(1949)年に鉱石輸送を貨物自動車によることになって廃止された」とある。日本機械車両製機関車の写真を小熊が美笛で撮影したのは昭和27年とキャプションにあり、「27年頃にスクラップとなった」と本文に記述されている。
 しかし、『増補千歳市史』第4章鉱業‐第1節千歳鉱山には、「27年には支笏湖西岸船着場に至る軌道撤去、トラック運行とし架空索道も39年トラック輸送に切替え廃止した」との記述がある。『要覧ちとせ』巻末‐千歳略年表にも、「昭和27年7月 千歳鉱山軌道撤去」と記載されている。千歳鉱山のお膝元であった千歳市立鉱山小学校『閉校記念誌‐ぴぷい』の巻頭「思い出のアルバム」にガソリン機関車の写真があり、「川口から元山間(昭和11年〜昭和27年)主に鉱石の運搬に使用された」とキャプション
にある。
 さらに、千歳鉱山会社資料によると、交通として「開山当時、鉱山専用船で支笏湖を渡航、支笏湖西岸より山元まで専用ガソリン軌道があったが昭和27年トラック輸送に切替えられた。更に昭和40年には湖上運行が廃止され陸上交通が可能になった」とある。
 以上のことから、昭和27年までガソリン機関車が運転されていたことに間違いはないと判断した。軌道は昭和27年7月に撤去されたが、艀曳航(えいこう)による湖上輸送は40年5月まで続けられた。

クリックすると拡大します。

‐3 千歳鉱業所配置図(昭和45年頃)

 道路の整備状況は、昭和34年に美笛峠を越え国鉄胆振線新大滝駅までの自動車道「美笛大滝道路」が開通した。翌年には美笛からモラップまでの林道が完成したが、冬季間は通行止めであった。これらの道は改良を重ねたが、砂利道というよりは砕石道、道路のいたるところに溶岩の一部が顔を覗かせる悪路で、かつ急勾配と急曲線の連続であった。
 41年に道道、45年には国道に昇格した。現在の美笛峠新ルートが完成し、後志方面への通年交通が確保されたのは59年のことだった。
 戦後における湖上輸送とこれらの道路で、至近の国鉄駅から宇高鉄道連絡航路本州側・岡山県玉野の宇野港を経由して、精鉱を瀬戸内海に浮かぶ香川県直島の三菱精錬場へ運んだ。



▲ 文頭まで移動




6.廃線調査(まとめとして)

文末まで移動 ▼

 北海道森林管理局発行の『森林位置図』、千歳市道路台帳などによると次のように軌道跡をたどることができる。( )内は千歳鉱山軌道駅名。

(川口)→美笛12号線林道→美笛7号線林道
→国道276号【千歳橋】→(八千代)
→市道美笛道路【八千代橋】【永代橋】
→市道美笛道路(鳴尾)
→美笛林道【鳴尾橋(旧宝来橋)】【萬歳橋】
→黄金林道(本山)

 この路線を実地走行・踏査した結果が、次のとおりである。
 美笛川河口があるあたりはカルデラの西の端、ちょうど恵庭岳と風不死岳の中間線上に位置している。
 左から端正な円錐型で迫力がある恵庭岳、米軍の電探基地があったイチャンコッペ山、東日本電信電話会社の無線鉄塔がある紋別岳、2つの小山キムンモラップとピスンモラップ、美しい風不死岳。そして、頂上部のトロイデに特徴がある優美な樽前山(原名オフイヌプリ(燃える・山))と、支笏連山が凪(な)いだ湖面越しにパノラマのように見渡せる。
 美笛川河口から500mほど南側の湖岸には千歳鉱山軌道当時のものかは判然としないが、石積みの築堤が2本、水際まで延びている。築堤は湖岸の斜面部分を水平に保つ役目を持ち、その先には、桟橋を組んだ丸太を水面下に見ることができた。
 築堤から美笛12号線林道が続いている。国道276号から美笛野営場や巨木の森に続く道の一部である。軌道跡である旧国道・美笛7号線林道の入口を確認して国道に戻る。旧国道を短絡する形で掘られている隧道・美笛トンネルは昭和49年に完成している。
 隧道を出て始終右手に美笛川を見ながら国道を進む。草笛川に架かる千歳橋を渡り、八千代駅のあった辺りで左折する。

クリックすると拡大します。クリックすると拡大します。

写真‐10 廃線跡を歩く(平成18年11月)

 八千代橋を渡り、未舗装の市道美笛道路に入った。右に「山神(さんじん)さん」と呼ばれたヤマの守り神・大山神社の参道があるが、両側を覆う夏草のため道幅は極めて狭い。
 永代橋付近では、市道美笛道路は大きな水溜りが進路をさえぎり、道路両端は2mほどの草がびっしりと茂っている。永代橋周辺のモシルン美笛川は石で護岸され往時を忍ばせるが、生活の痕跡は全く見出すことができない。国有地返還の際、建物を撤去し、原状回復のため植林をしたのだろう。
 永代橋を渡りすぐに右折、鉱山小学校跡の手前から左方向・鉱滓堆積場方面に向かう軌道跡の別れ道がある。木々の間に、堅牢のあまり撤去できなかったのか製錬場(選鉱場)施設の苔むしたコンクリート基礎部分を階段状に垣間見ることができる。
 さらに市道美笛道路を進むと美笛林道との境界があった。森林管理署の通行遮断機(以下「ゲート」)があり施錠されている。ゲートの設置箇所は、鳴尾6戸建鉱夫社宅群があった少し先にあたる。ゲートをくぐり林道を進む。林道は5m程度の幅で、昭和10年開削当時のような状態である。特に大きなデコボコはないが火山礫だらけで歩きづらい。左側は岩肌が迫り、右側の斜面の下にモシルン美笛川が流れている。沢水がいたるところ道路を横切っている。クランク部分に架かる宝来橋は、橋名板によるとなぜか鳴尾橋となっている。鳴尾橋を渡り、勾配を上りきった地点で引き返した。
 八千代、永代、鳴尾の三橋はいずれも昭和40年代初頭に架け替えられた永久橋で、欄干はガードレール状の簡易なものだった。
 福神沢方面の岐線跡は市道福神道路として、鉱滓堆積場行引き込み線跡の一部はダム管理道路として使われている。三菱系休廃止鉱山の管理を担うエコマネジメントによって、ダム周辺は立ち入り禁止となっていた。



 形として見ることができなくなって20年が経過した千歳鉱山。昭和初期の16年間、鉱石・産材の輸送、そして鉱山に住む人々の生活にと活躍した軌道が廃止されて54年。軌道は、人々の記憶から完全に忘れ去られようとしている。
 今回、断片的な資料に推定を交え、敢えてまとめてみた。執筆者の勉強不足、資料不足などが目に付く結果となってしまった。『新千歳市史』では千歳鉱山軌道に多くの紙面は割けないが、少しでも充実させたものにしたいと考えている。ご指摘、ご教示をぜひともお願いする次第である。

(文中敬称略)


クリックすると拡大します。

付図 支笏湖周辺のアイヌ語地名



▲ 文頭まで移動




← 前のページ   次のページ →

このウィンドウを閉じます