美笛‐千歳鉱山専用軌道の一考察

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守屋 憲治
千歳市史編集委員会専門部員
1.千歳鉱山の概要
2.専用軌道と軌間
3.軌道の配線経路
4.ガソリン機関車と蒸気機関車
5.軌道の廃止
6.廃線調査(まとめとして)
参考・引用文献
 




4.ガソリン機関車と蒸気機関車

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 千歳鉱山軌道は、当初5両のガソリン機関を搭載した内燃機関車=ガソリン機関車を保有していた。ボンネットの前面上方部にKATOWORKSとゴシックで陽刻され、東京の加藤製作所が製造した外観がL形の典型的な産業用ガソリン機関車である。キャブ(運転台)側面には社章が描かれた。写真によって判断するに4.5t機と3t機等が確認できる。3t機でも出力90馬力があった。ガソリン機関車は通常8両ほどの台車を牽引し、客車は最後尾に連結された。
 ガソリン機関車の諸元は形式が違ってもほぼ同一で、全長が3.9m前後、全幅が1.5m内外、そして全高は2mほどだった。
 当時のガソリン事情は、昭和13年に配給制となり、東アジア・太平洋戦争開戦直前の16年8月には米国の対日石油禁輸が発動、10月にはガソリンの規制率が機関車を稼動させるには極限となった。米国の対日石油禁輸は、日本が援蒋ルート遮断のため、前年8月の北部仏領印度支那(以下「仏印」)進駐に続き、七月、南部仏印へ進駐したことに対するものだった。
 このためガソリン機関車の運用ができなく、千歳鉱山では蒸気機関車を2両購入の止むなきに至った。ガソリン配給規制に対応するため、全国的に木炭ガス発生装置を付けた代燃機関車が運行されたが、千歳鉱山軌道においての運行は不明である。急勾配の多い美笛川本支流沿いの地形を考えると、運行しても馬力不足の代燃車では支障があったと推察できる。
 蒸気機関車については、小熊米雄著『日本における森林鉄道用蒸気機関車について』が詳しい。


 Ⅱ.森林鉄道に準ずる鉄道及び軌道

  C.その他の軌道

  C.1 千歳鉱山K.K.美笛鉱業所専用軌道の蒸気機関車

 この軌道は運転開始当初はガソリン機関車を使用したが、昭和17(1942)年に液体燃料の入手が困難となったので、蒸気機関車2両を使用し、更に昭和17(1942)〜18(1943)年にかけて、この鉱山附近の御料林(札幌地方帝室林野局樽前出張所、支笏事業区)が伐採されることになったので、木材輸送にこの軌道を使用することになり、木材運搬車が樽前出張所によって準備され、蒸気機関車1両を上芦別出張所から一時配属することになったものである。この軌道で使用された蒸気機関車は次の如きものである。


  ・日本機械車両K.K.製機関車、Nos1、2

 これらの機関車は、日本機械車両K.K.(東京市)で昭和17(1942)年2月に製造された。同形のBサイド・ボトムタンク機関車で、その形態はドイツのKraussの系統に属するもので、かっての陸軍鉄道連隊で使用していたCサイド・ボトムタンク双合機関車に類似しているので、これらの機関車の改造ではないかと想像されているものである。

 機関車概要(略) 運転整備重量6.0ton

 これらは同軌道が廃止された昭和24(1949)年に廃車され、その後昭和27(1952)年頃にスクラップとなった。


  ・Bagnall製機関車、No.17

 これは当時札幌地方帝室林野局上芦別出張所所管、芦別森林鉄道で使用されていた、W.G.Bagnall Ltd.で1896年に製造された、Bインバーデッド・サドルタンク機関車であって、支笏事業区における木材運搬のため昭和17(1942)年12月から18(1943)年4月の間、臨時に配置されたものである。

 機関車概要(略) 運転整備重量7.5ton



 以上、小熊米雄の著作を引用して3両の蒸気機関車について記した。
 鉄道写真家として知られる鉄道史学会会員の星良助の調査による「道内鉱山鉄道機関車資料」には、前述の3両のほかに、さらに1両の蒸気機関車が記されている。動輪車軸が2本のB型である以外、製造会社、製造年、形式ともに現在のところ不明である。用途廃止後は石川県小松の尾小屋鉄道(※‐9)に譲渡されたという。
 尾小屋鉄道に詳しい金沢の泉竜太郎は、「昭和29年頃の写真によると市役所前の小松城址・芦城(ろじょう)公園に、B型サイドタンクの蒸気機関車が展示されていました。地元の人は尾小屋鉄道の機関車といっていたようですが、実際は違うようです。現在は展示されていません。機関車がどこから来たのか、いつ頃なくなったのかはわかりません」という情報とともに、右後方から撮影した知人が所蔵する写真を寄せた。
 当該機関車の来歴を小松市史編纂室に尋ねた。市史編纂室の橋本正準は、「『写真集 明治大正昭和 小松』に、「尾小屋のポッポ」として機関車の写真が掲載されています。キャプションには「写真は昭和25年撮影の芦城公園北隅に保存されている尾小屋鉄道機関車の第1号車」と書かれています。また、小松市と合併後に発行された旧西尾村の『西尾村史』第2節尾小屋鉄道にも機関車の写真が掲載されていて、「尾小屋鉄道開設当時の機関車第1号」とキャプションにあります。どこから来たかについては判りません」といい、コピーが送付された。写真は同じ左前方からの撮影で『西尾村史』に掲載されている写真が、『写真集 明治大正昭和 小松』のタネ写真と思われる。
 尾小屋鉄道の1号機関車であるC121号機の導入は鉄道敷設の免許を得た大正6年、廃車は昭和28年である。左前方からの写真の撮影が25年、『西尾村史』が発行された33年9月までのわずか8年で来歴が不明となり齟齬(そご)をきたしたことになる。さらに、『日本における森林鉄道用蒸気機関車について』で芦城公園展示の同型機を探したが、全機の写真が掲載されているわけではなく判らずじまいだった。
 第4のB型蒸気機関車は、千歳鉱山軌道への入線が極めて短期間だったがゆえに資料が残されていないとするのが妥当である。日本機械車両へ1・2号機関車の発注をした昭和16年秋から、到着する17年2月までの応急運用、もしくはバグナル17号蒸気機関車を芦別に返却した18年4月以降の代替運用の入線が考えられる。
 尾小屋鉄道の起終点があった小松に来歴不明のB型蒸気機関車が昭和25年には存在していた事実はあったが、千歳鉱山から移送されたという確証を得ることはできなかった。
 泉は「尾小屋では日立鉱山から来た客車が車籍を得られないまま廃車になった例もあります。この蒸気機関車もそのパターンかも知れませんが・・・・」ともいう。
 今後の調査・研究が待たれる。
 内燃機関車は鉱山の人々に「ガソリン」、1、2号蒸気機関車は「ダチョウガマ(罐・ボイラ)」と呼ばれ、生活の足として親しまれた。蒸気機関車のサイドタンクが羽根、煙突が首と頭といったところか。

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写真‐6 日本機会車両製
      2号蒸気機関車

 2号蒸気機関車の煙突が膨らんでいるのは、火の粉止めが付いているからである。燃料に薪を使うと火の粉が大量に飛んで森林火災の原因になることから機関車の煙突の中に火の粉止め装置を装着した。森林地帯を走行する機関車の特徴でもある。次位に薪・炭車(テンダ)を従えていた。
 キャブの上にホースが乗っている。バキューム式の給水ホースである。蒸気機関車のサイドタンクに水を補給する際、軌道沿いを流れる美笛川とモシルン美笛川にホースを投げ入れることにより給水が可能となる。これもまた、森林地帯を走行する機関車の特徴である。
 網走管内遠軽の丸瀬布いこいの森において、森林鉄道では全国唯一の動態保存機として、北海道遺産に認定されているナローゲージの雨宮製作所製11tサイドタンク・テンダ式21号蒸気機関車も、火の粉止め装置を内蔵した形の煙突を有している。

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図‐2 英バグナル製
  17号蒸気機関車イラスト

 17号蒸気機関車は、九州長崎の松浦炭鉱から国鉄ケ98を経て、昭和16年に芦別森林鉄道に入線した森林鉄道唯一の英国製機関車で「ベアトリス」という固有名詞で知られる。明治29年製のタンク式17号機関車は昭和21年、老朽化のために水タンクからの水漏れが激しくなりテンダタンク式に改造された。特異形式から保存を望む声も多かったが、運動のかいもなく昭和28年頃に廃車になった。
 ガソリン事情が好転した昭和24年、起動スイッチによって簡単にエンジンが始動するガソリン機関車の運用が可能となり、蒸気圧など取り扱いが複雑な蒸気機関車は廃車となった。
 ここまで千歳鉱山の坑外軌道機関車について述べた。
 先述の星資料には、坑内軌道動力車についても動力、No、軌間、製造会社、製造年月(一部不詳)、製造番号の一覧がある。星資料を参考に坑内軌道について少し触れておきたい。
 千歳鉱山開山当初は鉱車が用いられ、坑道の延長に伴い動力車が導入されたと考えるのが妥当である。しかし、坑内動力車を導入した時期はわからない。

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写真‐7 休山となり地上に出てきた
日本輸送機製2tF型蓄電機関車

 千歳鉱山会社資料によると、気候の項に「坑内は自然通気で15〜25℃と適温のところが多い」というが、坑内は排煙や排熱を極端に嫌うことは言を待たない。坑内では蓄電池を動力とする機関車が用いられた。軌間は当初508mmだったが、昭和17年頃に500mmに改軌されたようだ。戦(前)中4両、戦後13両の蓄電車機関車が導入された。製造会社は純国産の蓄電池機関車を初めて開発したニチユ。戦(前)中、戦後の各1両の2t機を除いてほかは4t機だった(ニチユ=日本輸送機)。
 岡本憲之著『全国鉱山鉄道』における千歳鉱山の記述は、「資料篇」に《鉱山名‐千才(千歳)鉱業所 会社名‐千歳鉱山 所在地‐千歳市美笛番外地 採掘鉱物‐金銀 軌間‐500 動力‐BL》と坑内軌道について記されているだけである。坑外軌道のガソリン機関車、蒸気機関車については一言も触れられていない(BL=バッテリー・ロコモティブ=蓄電池機関車)。

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写真‐8 切羽用バケットローダー
 元鉱員から「千歳鉱山軌道の客車は、オープンデッキが付いたデザイン無視の奇妙な箱形だった」と聞いたことがある。森林鉄道の場合、多くは下回りに台車を利用、ボディは自作、暖房があるわけでもなく冬場は大変な乗り物だったというのが一般的であった。千歳鉱山軌道の奇妙な箱型というのは、採鉱・選鉱などの機械器具修理部品の製作にあたった千歳鉱業所工作工場で造ったものと考えられる。
 また、冬季間の運行を維持するためラッセル式雪かき車(以下「ラッセル車」)があった。台車を木造有蓋貨車「ワ」のように改造、運転台とノーズを付け、ノーズの先に金属製V形の排雪板を付けた工作工場製と思われるラッセル車が機関車に押されて除雪した。王子山線でも、苫小牧工場鉄工部製の台車を利用したタイプのラッセル車があったが、後進すると雪を集めてしまうことからバックもできず昭和19年頃に均土機(ブルドーザー)が導入されたという。

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写真‐9 千歳鉱山軌道の車両




※‐9  尾小屋鉄道は、大正8年に開通した762mm軌間の鉱山鉄道で路線延長は16.8kmだった。廃止は昭和52年だったが、ナローゲージの非電化営業路線としては、国内で最後まで運行したことで知られる。蒸気機関車は4両が在籍したが、全てがC型であった。


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