伊藤博邦先生にお聞きする開校当時の緑小

   
前千歳市教育委員長の伊藤博邦先生は、開校したばかりの緑小に、新卒の先生として着任しました。最初の卒業生の写真中央右が伊藤先生です。

↑ 伊藤先生のお話を聞く南真哉記念誌部長
  当時のアルバムを見ながら。

 

  

  開校した当時のようすを教えて下さい。
伊藤 新卒で7 月に着任して、6 年生の担任を持った。6 年生は73 人だったが、教室が足りないから、2 階の視聴覚室で「カップル授業」と言って、2 クラスいっぺんに教えていた。小柳弘子先生と組んでいたが、国語をおれが教える時は、小柳先生が机間巡視しながらわからない子に教え、算数は逆というふうにやっていた。
最初の頃は、体育館がないから、学芸会も卒業式も児童玄関の上のこの教室でやっていた。卒業式の時なんか父兄が入るとほんとに立錐の余地もないという感じだった。
  そのころ苦労したことはありますか。
伊藤 苦労という訳ではないが、一番思い出に残っているのは池と土俵を作ったことだな。何もない学校なので、子どもが喜ぶものと思って池を掘った。北海道の形にして真ん中には太鼓橋を作った。噴水も作った。
子ども達が帰った後、先生たちは毎日土方をやっていた。暑い時は特に大変だったな。
池は今の教頭住宅のあたり、土俵は今の屋体の入り口あたりにあった。
  池を掘った土を土俵に使ったのですか。
伊藤 多分そうだったと思う。大久保先生といって、相撲にたいそう堪能な先生がいて、さかんだった。
  冬はリンク作りだ。千歳の学校でリンクを作ったのは緑小が初めてだった。それを見て「いいもんだ」ということになって、他の学校に広まっていった。当時の校庭、今の校舎のあたりに作ったが、水まきは毎晩だ。近くに住んでいたから朝までやっていた。宿直室に戻ってくると一升瓶があった。PTAの人が寄付してくれたんだ。宿直室といってもまだできていないんで、校長室に簡易ベッドを置いて寝泊まりしていた。
  先生たちと一杯飲みながら、どうやって学校を作ろうかと毎晩話し合ったものだ。
一番楽しかったし、そのころの子どもが一番印象に残っているな。子どもといっても、もう62 歳になって、おれとだんだん歳が近くなってきて、今なら友達だけどな。
  今日は貴重なお話をありがとうございました。  

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